備忘録と日々の雑感,ときどきオリックス。
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連投と言えば、昨日のGIANTSの山口です。4連投、今日は内海が完投したので、
久しぶりにお休みだったようです。
と、今日は、その話ではなく、Blogの連(続)投(稿)ということです。
どうも、記事を1個書くと、2・3個書くネタがいっきに思いついちゃう
ようです。今までの傾向的に。最初の1個を書かなければ、もちろん
2個目も、3個目も思いつかないんですがね・・・。
このことは、脳科学的にも言われてることらしいんですが、
最初の1歩目を踏み出すこと(例えば、物書きなら、とりあえず1行目を
何でも良いから書いてみること)が、2歩目、3歩目を書く意欲が沸いてくる
そうです。よくある「騙されたと思って」っという前フリは、実は科学的
だということらしい。
1歩目が大事だと言う話は、別の話もありまして、これは絵描きさんの話。
とある美大で、先生がクラスを2つに分け、片方のグループには「質を重視し、
今学期中に最高のデキのものを1枚提出してください。質で成績を評価します。」
と伝えました。もう片方のグループは、「量を重視します。今学期中に出来るだけ
多くの絵を描き、それらすべてを提出してください。その枚数で成績を評価
します」と伝えました。その結果、教授の評価によると、質を追求したチームより、
量を追求した方が、高品質の絵を描いていたとのこと。
似たような話で、ある会社の就職試験では、5枚の白紙を配り、志願者に電球の
デッサンをさせるそうです。合否の判断基準は、1枚の用紙で粘り強く書き直したり
していると落とすそうです。
美大の話は、いっぱい書いてるうちに上達していくということ、「考えるだけだと
腕は上達しない」ということでしょうか。入社試験のほうは、その会社の社長さん
曰く、状況判断を的確にしているかどうかをチェックしているらしい。余裕がある
中で、1枚の用紙にこだわることは、効率的でないということでしょうか。限られた
時間内では、消す時間もロスになりますし。なにしろ、代替案がないですしね。
1枚しか書いてないと。BestよりBetterということでしょうか。
久しぶりにお休みだったようです。
と、今日は、その話ではなく、Blogの連(続)投(稿)ということです。
どうも、記事を1個書くと、2・3個書くネタがいっきに思いついちゃう
ようです。今までの傾向的に。最初の1個を書かなければ、もちろん
2個目も、3個目も思いつかないんですがね・・・。
このことは、脳科学的にも言われてることらしいんですが、
最初の1歩目を踏み出すこと(例えば、物書きなら、とりあえず1行目を
何でも良いから書いてみること)が、2歩目、3歩目を書く意欲が沸いてくる
そうです。よくある「騙されたと思って」っという前フリは、実は科学的
だということらしい。
1歩目が大事だと言う話は、別の話もありまして、これは絵描きさんの話。
とある美大で、先生がクラスを2つに分け、片方のグループには「質を重視し、
今学期中に最高のデキのものを1枚提出してください。質で成績を評価します。」
と伝えました。もう片方のグループは、「量を重視します。今学期中に出来るだけ
多くの絵を描き、それらすべてを提出してください。その枚数で成績を評価
します」と伝えました。その結果、教授の評価によると、質を追求したチームより、
量を追求した方が、高品質の絵を描いていたとのこと。
似たような話で、ある会社の就職試験では、5枚の白紙を配り、志願者に電球の
デッサンをさせるそうです。合否の判断基準は、1枚の用紙で粘り強く書き直したり
していると落とすそうです。
美大の話は、いっぱい書いてるうちに上達していくということ、「考えるだけだと
腕は上達しない」ということでしょうか。入社試験のほうは、その会社の社長さん
曰く、状況判断を的確にしているかどうかをチェックしているらしい。余裕がある
中で、1枚の用紙にこだわることは、効率的でないということでしょうか。限られた
時間内では、消す時間もロスになりますし。なにしろ、代替案がないですしね。
1枚しか書いてないと。BestよりBetterということでしょうか。
*****
1歩目の話は、僕も今考えていることです。ちょっと出所が正確ではないですが、
たしかジャック・デリダか、ハンナ・アーレントだったはずです。話は、アメリカ
合衆国設立以前の話。合衆国憲法の根拠がどのように作られたかというはなし。
簡潔に言うと、憲法の根拠は、憲法自体に見出すことは出来ません。なぜなら、
憲法が成立していないので、拘束力が存在しない。じゃあ、どうやったのか。
ピルグリム・ファーザーズたちは、メイフラワー号のなかで、この憲法が正統で
あることを神に誓ったそうです。非常にいかがわしい話ですが、僕的には
かなり的を射た話のように思います。
というのも、実は1歩目は正確であること、正しいことは重要ではないと
いうことを物語っているからです。もちろん、合衆国憲法が正しいかどうか
の判断は、僕にはつきません。しかし、人々がこの合衆国憲法を遵守している限り、
合衆国憲法の正統性は維持され続けています。つまり、それが正しいかどうかに
かかわらず、それにしたがって、人々がさまざまな判断を下す。例えば、人を
殺さないとか、ものを盗まないとか。人が殺されないと思うから、買い物に出かけ
られます。ものが盗まれないと思うから、ものを売り買いできます。実際には、
殺人も窃盗もあります。しかし、殺人があること、窃盗があることを前提に行為
すると買い物にも出かけられないし、商売も出来ない。つまり、1歩目は、人々の
行為の中で、行為の前提として機能するということです。そこでは、前提を逸脱する
行為も存在しますが、多くの人がその前提をもとに行為していることが、その前提を
前提たら占めているということです。前提足らしめる行為とは、単に、買い物や
商売だけにかかわらず、人々が買い物や商売を前提とした経済学の教育や、
さまざまな食材が調達できることに可能になる料理や、パソコンや通信回線が存在し、ISPがあることで成り立っているブログを書くことも含みます。
※殺人や窃盗に関する法は、たぶん州法で規定されていると思いますが、その根拠
法が、合衆国憲法になるのではないかという推測の元、上の例を出しました。
4つぐらい小話を書きましたが、まとめると、行為の1歩目は、
・2歩目,3歩目の原動力になること、
・2歩目,3歩目を進めることによって、行為に習熟していくこと、
・2歩目,3歩目が踏み出せる余裕がある場合、1歩目に迷うことは、
非効率であること、
・そして、最初の第1歩目がたとえ間違っていても、2歩目,3歩目と
歩き続けるならば、問題でなくなるということ
が言えそうだということです。
ということで、長々と書いてきましたが、実は書きたかったことは、
そんなことじゃなくて、以前のブログを読み返していて、僕の日本語は
どうも「~なので、~なので、~なんです」というように、読みにくいなぁ、
ということで、修正するのが面倒なので、自覚してますよという言い訳を
書きたかっただけでした・・・。
5歩目、6歩目になって気づくこともあると言う話になるんでしょうか。
ちなみに、量をこなすだけじゃ意味はなくて、やっぱり1歩目の正しさの方が、
大事だよという話。たとえば、経路依存性の話なんかもありますが、
その辺の話は、いづれまた。
たしかジャック・デリダか、ハンナ・アーレントだったはずです。話は、アメリカ
合衆国設立以前の話。合衆国憲法の根拠がどのように作られたかというはなし。
簡潔に言うと、憲法の根拠は、憲法自体に見出すことは出来ません。なぜなら、
憲法が成立していないので、拘束力が存在しない。じゃあ、どうやったのか。
ピルグリム・ファーザーズたちは、メイフラワー号のなかで、この憲法が正統で
あることを神に誓ったそうです。非常にいかがわしい話ですが、僕的には
かなり的を射た話のように思います。
というのも、実は1歩目は正確であること、正しいことは重要ではないと
いうことを物語っているからです。もちろん、合衆国憲法が正しいかどうか
の判断は、僕にはつきません。しかし、人々がこの合衆国憲法を遵守している限り、
合衆国憲法の正統性は維持され続けています。つまり、それが正しいかどうかに
かかわらず、それにしたがって、人々がさまざまな判断を下す。例えば、人を
殺さないとか、ものを盗まないとか。人が殺されないと思うから、買い物に出かけ
られます。ものが盗まれないと思うから、ものを売り買いできます。実際には、
殺人も窃盗もあります。しかし、殺人があること、窃盗があることを前提に行為
すると買い物にも出かけられないし、商売も出来ない。つまり、1歩目は、人々の
行為の中で、行為の前提として機能するということです。そこでは、前提を逸脱する
行為も存在しますが、多くの人がその前提をもとに行為していることが、その前提を
前提たら占めているということです。前提足らしめる行為とは、単に、買い物や
商売だけにかかわらず、人々が買い物や商売を前提とした経済学の教育や、
さまざまな食材が調達できることに可能になる料理や、パソコンや通信回線が存在し、ISPがあることで成り立っているブログを書くことも含みます。
※殺人や窃盗に関する法は、たぶん州法で規定されていると思いますが、その根拠
法が、合衆国憲法になるのではないかという推測の元、上の例を出しました。
4つぐらい小話を書きましたが、まとめると、行為の1歩目は、
・2歩目,3歩目の原動力になること、
・2歩目,3歩目を進めることによって、行為に習熟していくこと、
・2歩目,3歩目が踏み出せる余裕がある場合、1歩目に迷うことは、
非効率であること、
・そして、最初の第1歩目がたとえ間違っていても、2歩目,3歩目と
歩き続けるならば、問題でなくなるということ
が言えそうだということです。
ということで、長々と書いてきましたが、実は書きたかったことは、
そんなことじゃなくて、以前のブログを読み返していて、僕の日本語は
どうも「~なので、~なので、~なんです」というように、読みにくいなぁ、
ということで、修正するのが面倒なので、自覚してますよという言い訳を
書きたかっただけでした・・・。
5歩目、6歩目になって気づくこともあると言う話になるんでしょうか。
ちなみに、量をこなすだけじゃ意味はなくて、やっぱり1歩目の正しさの方が、
大事だよという話。たとえば、経路依存性の話なんかもありますが、
その辺の話は、いづれまた。
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