忍者ブログ
備忘録と日々の雑感,ときどきオリックス。
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

気になってるので、旅回顧録の途中ですが、はさんじゃいます。

竹田青嗣「ハイデガー存在論への展開」pp.65-69

●現象学は、<意識>から世界の表れを記述する。
 現象学のこの方法は、元来、認識と対象、あるいは、
 思惟と存在の一致をどう見出すかという、認識論上の問題
 であった。

●ハイデガーは、この問題を認識論の問題としてより、存在論
 の問題の基礎として位置づけなおす。つまり、「ある(存在
 する)とは、いったいどういうことなのか」

●「モノがなぜあるのかとか、なんのためにあるのか」は、
 さしあたってモノが人間にとってどういう存在としてあるか
 ということ、つまり、モノの客観的秩序といわれているもの
 は、実はそれが人間にとって現れる秩序をしめす。

●では、「人間という存在は、いったいどのような存在なのか」。
 人間は他の多くのモノと違い、モノの存在を規定するような
 存在者(=現存在)である。

●では、現存在を規定するのは何か。人間の存在の意味もやはり
 人間によってたしかめられるほかない。しかし、「意識」と
 いうモノのあり方は、外側から見るわけにはいかない。「意識」
 のあり方はただ、当の意識自身が自分を見たその通りのものを
 記述してゆくという方法方法によってしかとらえられない。

●ハイデガーは、現存在の存在を「気遣い(顧慮)」という概念
 で示す。人間は、さまざまな「世界の内部」の存在者を、
 意味連関として把握する。このような方法を、現存在は世界に
 対して「気遣い」という態度をとって生きているという風に
 ハイデガーはいう。

●さらに、もう一つの要素して「時間性」がある。なぜなら、
 意味連関は、「時間性」に規定を受けているから。つまり、
 この「時間性」が、存在の意味に影響を与える。

●「時間性」とは、<死>の観念をさし、その根本的性格として、
 経験できないもの、切迫した可能性、存在できないことである。

●こういった<死>は、現存在に2つの影響を与える。一つは、
 <死>の脅威を柔げようとし、「不安」を常に持たせることと
 なり、それを打ち消すために真の状態から目を背けさせる
 (「頽廃」、「世人」、「空談」)。もう一つは、<死>の
 可能性を直視することで、「本来的に存在しうること」という
 自己の有り方を自覚する場合である。

=「まず、<死>の観念は、人間にその生を「限定された時間」
 という相で示すために、「気遣い」としての意味連関は、時間
 的に配列された秩序として現れる。さらに、<死>の観念は、
 人間にその生を、一回きりで決して取替えのきかない、自分に
 とっての絶対物、という本質的な性格を持ったものとして指し
 示す。そしてそのことが、人間における「良心」あるいは「倫
 理的なもの」の根拠をなしている。

☆疑問点
1.<死>と「時間性」の観念は、互換可能(=同義)なのか?
  おそらく、<死>の観念を前提として「時間性」を客観的
  秩序に包含させていると捉える方が、納得しやすい。例えば、
  「いつ死ぬかは、分からないけど、死ぬまでに、あることを
  やっておきたい。だから、今このことをやっているんだ。」
  みたいな意味連関を作り出すように。

2.<死>や「時間性」を現存在の根本構造に挿入するとして、
  これらの観念は、どのようにして発生するのか?「意識」
  のあり方はただ、当の意識自身が自分を見たその通りの
  ものを記述してゆくという方法方法によってしかとらえら
  れないのだとしたら、<死>の観念を一般化して論じる
  ことが可能なのか?

3.意味連関の変化を議論の射程に入れているのか?

4.モノの存在は、議論の問いの前提にのみ用いられており、
  それ以降は、意味づけの議論となっている。モノ(=対象)
  は、それ以上の意味をもたないのか?

とりあえず、紹介文から生じた疑問点をまとめてみました。
原著は無理でも、訳書は読まねば・・・。

PR
桜井厚『境界文化のライフヒストリー』せりか書房
 
ライフストーリーインタビューを通じて、人々の生活戦略を
明らかにしていく。
 
・全体社会の支配的文化で語られているマスター・ナラティブ
・ある一定のコミュニティのなかで機能するモデル・ストーリー
 
インタビューの相互行為は、語り手の個人的な経験を、マスター・ナラ
ティブやモデル・ストーリーを参照し、借用しながらライフストーリー
を編成していく。
 
ライフストーリーの中の、とまどい、矛盾、非一貫性、沈黙などの亀裂
が、新しい声やストーリーを生成する兆候を示す。
 
環境変化(村への転入・転出者,産業の近代化の影響,公害・衛生問題 など
)、とりわけ村の外部要因を、変化の駆動因としてストーリーの流用や新しい
ストーリーの生成を論じている。

ちょっとずつやる気が起きてきたかも・・・

読んでる本
<◆> まとめ
<…> 雑感
<⇒> コメント

・東浩紀 編 『波状言論S改』 ⇒宮台真司,北田暁大,大澤真幸,鈴木謙介の対談本
   …シリーズモノの模様。
   ◆「機能の言葉」→選択は個人の趣味→タフになれ→動機付けの問題・・・
   …どちにしろ、おなじ結論・・・
    ◆ポストモダン、底抜け、降りる自由
 

 

   …ソシオロゴスって、批評空間(第1期)とCSの中間だったということを知る。。。
   …柄谷のCS批判って、どんなんやったんだろうか。。。(なんとなく)
   …一般的なCS批判は、CSが対抗的な潜勢力をもったものじゃなかったということのよう。
     とはいえ、位置づけ的には、対抗的公共圏をめざすもの。
   ⇒方法論的な批判とかは、ないのだろうか。

   ・・・

なんか中途半端だけど、後で修正する予定。

[1] [2]
カレンダー
06 2024/07 08
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31
リンク
最新コメント
[06/11 うえってぃ]
[08/04 .]
[11/09 通りすがり]
[10/31 たろう]
[10/30 むねるる秋のx]
プロフィール
HN:
ぱりーがー
性別:
男性
趣味:
いろいろ。うすくひろく。
ブログ内検索
カウンター
アクセス解析
忍者ブログ / [PR]
/ テンプレート提供 Z.Zone